今回は旧会見町天万、初の南部町内の散策である。
ここは江戸時代末期、従来の米子から岸本、溝口を経る出雲街道に替わり、米子から天万、三部を経て二部に至る新出雲街道が開設された際に、その宿場町として松江藩大名行列の本陣が置かれた場所なのである。
北からは米子、西からは旧出雲国の母里からやってくる道が交差し、その三差路には道標が立てられていたのが印象的だ。
歩いてみると、質朴で品の良い静けさと歴史が感じられる町である。
撮影日 2025.12.18
camera CANON G7X MarkⅢ

まずは天萬神社から歩き始める。
奥に見えるは大山。
今日は天気が良く大山の姿が空に浮き彫りに映えていた。

強い日光と深い影で格調高く映える天萬神社。

町の床屋さんの看板が格調高い。かな?

通りからも大山が望める。

昨晩は雨。
雨露で潤う。

本陣門脇家の屋敷。
現存している建物は、大正元年に建てられたものとのこと。
大正デモクラシー、太平洋戦争、市町村大合併や震災等々、多くの激動の歴史を記憶しているのだろう。
塀越しにしばらく佇み、建物から語りかけてくる声に耳を傾ける。

この道を真っすぐ行くと、旧出雲国母里に至る。
この町にも飛び出し坊やが!(写真右側)。
昔と違って今は車に注意が必要。
「飛び出さないでね~」
と言っても、飛び出すから飛び出し坊やなのか。彼には彼の仕事がある。そっとしておこう。

趣ある町並みが続く。
往時は宿が100件以上あったそうだ。

冒頭の道標。
今は農業者トレーニングセンター前に移設されている。
読みにくいが、「左二部・上万道 右母里・法勝寺道 慶応三年九月」と書いてある。
米子から来た旅行者への道標だ。
慶応三年は西暦1867年。明治維新の前年だ。

出雲街道全盛期は、商店が立ち並んでいた。

南天の実と赤いバラが綺麗。
ちょっと伝わりにくいかな。

米子から歩いて来ると右側に天萬神社に続く真っすぐに伸びる道がある。
その道には立派な鳥居が2箇所。
きっと大名行列も旅の安全を祈願して参拝したのだろう。

ゆずが綺麗に太陽に照らされていた。

地元の方のお話では、この辺り、古代は海だったそうである。町内に三崎という地名があるが、その名残だそうである。

桜の木(かな?)。
休眠期に入り、春にはまたたくさんの花を咲かせるに違いない。













































































































































































