私が所属する写真サークル「スウィング」の写真展が、10/2~10/7に植田正治写真美術館で開催されました。
私は、夕暮れの出雲街道をテーマに、伯耆町内で撮影した写真7点を展示しました。
これからも鳥取県内のいろいろな街道を撮り歩きたいです。





日本海新聞記事
豊かな視点捉える サークルスウィング 植田正治美術館で写真展 | 日本海新聞 NetNihonkai (nnn.co.jp)
私が所属する写真サークル「スウィング」の写真展が、10/2~10/7に植田正治写真美術館で開催されました。
私は、夕暮れの出雲街道をテーマに、伯耆町内で撮影した写真7点を展示しました。
これからも鳥取県内のいろいろな街道を撮り歩きたいです。





日本海新聞記事
豊かな視点捉える サークルスウィング 植田正治美術館で写真展 | 日本海新聞 NetNihonkai (nnn.co.jp)
出雲街道の宿場町二部。
溝口の渡しを渡った後は二部に入ります。
雲州松平候が利用した本陣の足羽家住宅、二部神社、曹洞宗傳燈寺等、当時の面影が残っていて、文字どおり「歴史あるまち」の情緒が感じられます。
Date 2024.7.27 晴れ
camera Canon G7X MarkⅡ

二部地区には県道46号から斜め左に入っていきます。
入口に綺麗な看板が出迎えてくれます。
こういった案内看板があれば、旅行者が歓迎されている感じで安心します。

いざ出発。
それにしても連日の35度超え。
日差しでジリジリ、蝉がジリジリ。
心が折れそうです。

真っすぐ伸びる出雲街道。
「う~ん。往時の面影が偲ばれる。」
まずは、街道左手(東側)に伯耆三十三観音霊場の第八番札所、曹洞宗傳燈寺があります。
「それにしても暑い。」汗(-_-;)

入口の左右の標柱に威厳を感じます。
この禅寺で多くの雲水が修行したのでしょうか。
二部地区の住民、宿泊する旅行者も多く出入りしたのでしょう。

本陣足羽家住宅。
建物は、家業のたたら製鉄で大富豪となった足羽家が提供したものとのこと。

雲州松平公本陣跡の標柱。
大名行列の際はここを本陣、手前の三部宿に脇本陣を置いていたようです。
200人クラスの行列だったのでしょうから、分けて泊まる必要があったのでしょうか。
「う~ん。やはり暑い。」汗(-_-;)

かも鍋のなんば商店さん。
地元の方に聞いたところ、昭和の頃までは、魚屋や八百屋等の10件程あった商店も、現在ではこちらのなんば商店さんと、もう少し上手側にある伊沢酒店さんの二店舗を残すのみとなったようです。

前述の伊沢酒店さん。


二部神社。
鳥居を入ったところに、比較的新しい綺麗な両脇の狛犬が出迎えてくれました。
頑張って階段を五十段ほど登って境内へ到着。汗だく(-_-;)。
綺麗な拝殿に一人、賽銭を投げて拝礼。

街道沿いのアジサイ。
7月下旬ですが、まだ紫陽花が咲いていました。
背景は二部小学校。
HPを閲覧すると全校生徒は29名。
どこの学校や伝統も、いつまでも続いて欲しいものです。
人数が少なくても、それだけその時の思い出が色濃く残っていくと思います。

仕事で田園風景が拡がる集落を歩いていた時とのこと。
庭先のベンチに腰を下ろした老人とのやりとり。
「暑いですねー」
「暑いなあ」
「でも今日は雲があるから少しはいいですね」
「雲があっても暑い暑い」
昨今、地球の温暖化現象が顕著で、例年、夏の暑さがこれまでにないものとなっている。
自分の子供の時と比べて感覚的に3~4℃程、暑くなっているように感じる。
気象庁の平年値とは過去30年間の平均値とのことだが、年々上がり続ける気温は、平年値をも上昇させるだろうから、昭和の頃までの気温と比べるとさらに上がっていることだろう。
人々は言う。
「地球が危ない」と。
なあに、地球はちっとも危なくない。どうしたって地球はいつもの調子で悠然と回っているのである。
正しくは、「人間の住処が危ない」というべきなのだ。
「地球を守ろう」ではなく「自分たちの住処を守ろう」なのだ。
まあ、それはそれとして、地球温暖化の原因は、人間の化石燃料の消費等による環境破壊や地球のマグマや太陽活動等の活発化等の自然由来の原因等、諸説あるそうだが、やはり人間が引き起こした要因も少なからずあるに違いない。
それは人間の欲望が引き起こしたこと。
大いに反省が必要だろうと思う。
「いや、その科学技術の発展や行き過ぎた経済活動等、他の人がやったことで、私は望んでいない」等と言ってはいけない。
やはりそう言っているその人たちも、今、手に持っているスマートフォンやエアコン、自動車、飛行機、等等等、充分にその科学技術の発展や過当な経済活動の恩恵を得ているのだ。
私は極端な話、全人類が(特に先進国の)、今の生活水準を半分程度に落とせば、人間の心も自然環境も穏やかになってよくなると思っている質なのだが(例えば一家に車が2台あるのなら1台にしましょうなど)、競争は人間の性なのか、これだけ国際間の競争が進んだ社会ともなればとても叶わない話だろう。アメリカや中国がそのような提案に乗るはずもない。月の領土も我先に争っているぐらいだから。
所詮、悪人を自称している人も善人ぶっている人も、悲しいかな全員が運命共同体なのである。
子供の頃に田舎のおばあちゃんの家に行って、川やソリで遊んだ記憶も今や懐かしき思い出。
美しい頃に戻ることは出来ない。
全ては変化の最中にある。変化しかない。変化に身を委ねるしかない。
でも、そうまんざら嘆くことばかりではない。
冒頭のやりとり。
普段、隣人と言えども、他人とはほとんどないコミュニケーション。
こういう時だからこそ繰り拡げられるコミュニケーションだ。
ギラギラ照り付ける日差しの下で「暑いですねー」を皮切りに、人と人とがふれあう機会が増える。
そのような小さな恩恵もあると思う今日この頃である。
唯識思想においては、世界の認識作用を「四分説」という考え方で説明している。
心(=識)が、①見分(見るもの)、②相分(見られるもの)、③自証分(見たものを認識するもの)、④証自性分(見た自分を自覚するもの)の四つの領域に分かれる。
一方で、イマヌエル・カントの『純粋理性批判』においては、人間には、「私は考える」という能力である「純粋統覚」があるから、感性で得た直感や知性で得た概念を総合することが可能となり、世界を認識することができるのだと言っている。
カントの言う純粋統覚が、四分説でいう自証分の段階にあるのか、証自証分の段階にあるのか、この辺りの詳細は、私は専門的な学者ではないからわからないし、そもそもそのような考察があるかどうかは知らない。
ただ、目の前にあるものを認識し、その認識は私の認識として自覚する自分があると言っている点は共通しているように思える。
そしてこの認識は、純粋理性批判では、客観的に存在する世界(モノ自体)をアプリオリ(先天的)に備わる悟性(知性)のカテゴリーで認識し、それは全ての人間に共通するものだとしている。
一方、唯識思想では、人人唯識、つまり、一人一人がそれぞれの異なる世界を認識しているというのだ。この考え方は、ヒューム等のイギリス経験論に近い考え方だろう。
いずれにしても、「私は考える」という一歩後ろから俯瞰している私があることは確かであるように思えるし、また、その「私は考える」が他でもない自分自身にも備わっているということ自体に驚き感動し、”ある”という不思議さ又はその神秘性を思うとき、スピノザの言う神への畏敬と感謝を感じずにはいられないのである。

思ったことつらつら。
この世界って、何で出来ていて何故出来ていて何を見ているんだろう。
そして、最大の問いは何故この世界に自分は居るのだろう。
皆目わからない。
カントの純粋理性批判だって、形而上的な問いはいくら考えても結論は出ないと言っている。
でも自分は何故だかこの世界に産まれ堕ちてしまっている。
そしてその世界ではどうにもならない生きづらさや切なさもある。
頭もよくないし、見栄えも普通。
身体能力もないし、体も強くないからバイタリティもない。
能力が無い割に負けず嫌いだし、シャイだし。
悲しいかなそのように自分は存在してしまっている。
してしまっているのである。
だけどね、どうあがいてもこの世界を自分としてしか生きていけないし、他人と比べてもどうしようもない。
「自分は大谷翔平がやる90%のことはできない。自分は最高のムーキーベッツになるだけだ。」
最近のムーキーベッツの言葉だが、今の自分にはかなりしっくり来る言葉。
社会の地位は全て相対評価だ。政治家、医者、弁護士、オリンピック選手、野球選手、将棋の棋士、サラリーマンになるにも何もかも。
自分には競争心や嫉妬心もある。どうしても人と比べてしまうからね。
だけど、相対評価やその指標となる数字だけを追いかけても、自分の真の価値を見逃してしまうのではないかな。
自分に与えられた条件(身体能力、思考能力、経済力、性格や資質等)の中で、どれだけ自分を向上させられるか。ある程度自分の器の形って決まってるんだよね。三角形の人も居るし、星形の人も居るだろう。
相対評価はモチベーションにはなるが、決してそれを目的としてはいけない。ライバルに勝った瞬間に満足して成長が止まってしまうからね。
大切なのは、人生最後の日まで「最高の自分」を目指してそれに向かって向上すること。
その際に、「何故?」という言葉は遮断すること。
これは潜在意識からの声であって理屈ではない。自分のちっぽけな頭で考える小理屈では真実は見えないだろう。
全てが因果の法則で動いているように見えるこの世の中も、自分の意識で世界は変えられると思う。
少なくとも唯識はそう教える。阿頼耶識縁起ですね。
だから日々、自分の底からの意識に従って向上し最高の自分を追い求めて行く。
そうしたら、人生の最後には最初の問いの答えも少しは見えてくるのでないか。
だからその日まで、自分を生き抜いてやろうじゃないか。
そう感じている、今日この頃。

出雲街道沿いの岸本。
かつてこの地は米子の車尾の渡しから右に折れて続く出雲街道と尾高方面からやって来る日野往来との合流地点だったようです。
島根松江藩の参勤交代や自社参り等の旅人等、多くの古人が歩いたであろう光景が偲ばれます。
夕暮れ、岸本地区の出雲街道をスナップしました。
Date 2024.5.17 晴れ
Camera Canon R6 MarkⅡ RF 70-200㎜ F2.8 L IS USM

雑草か農作物の残渣でしょうか。
野焼きの煙が横切る街道を近くの男性が散歩していました。
安来宿を発った大名行列も昼下がりから夕方にかけてこの辺りを通過したのでしょうか。
当時の光景に思いを馳せて情緒が沸き起こります。

5月、田植えの季節。
街道を挟む田んぼにはもう水が張られてました。
蛙の鳴き声もこの季節の風物詩ですね。
大山も夕陽に照らされてその表情が良く見えます。

岸本中学校。
西側の全面に夕陽を一杯に浴びていました。

猫ちゃん。
飼い猫だったのでしょうか、こちらにすり寄ってきてくれました。
人恋しいのでしょう。
焦って撮って、写真はピンボケ。

岸本神社のムクの木。
とっとりの名木100選。
樹齢不明のようですが、この地に鎮座する岸本神社の神木として、古くから崇められてきたのでしょう。

岸本神社付近の出雲街道。
田園風景が情緒を感じさせます。
秋の稲穂の頃も良い風景でしょうね。

今回のスナップは、ベタ踏み坂で有名な江島大橋です。
江島大橋は、鳥取県と島根県を繋ぐ橋長1,446.2mの橋です。
島根県側から登り、往復約3㎞をウォーキングしました。
今回歩いてみて、ベタ踏み坂の勇壮な印象とは異なり、躯体の白いコンクリートと滑らかな曲線が相まって、とても上品な質感の橋だと感じました。
Date 2024.3.22 曇り
Camera Canon G7X Mark Ⅲ

「PCラーメン構造の橋では日本一の長さ!!」
「ラーメン構造」とは、ドイツ語で、橋脚と橋桁が一体となった構造のことを言うようです。
決して牛骨ラーメンのことでは無いようです。

波か虹を象った綺麗なオブジェ。

真っすぐ伸びる歩道。
先にあるゴールが見えそうで見えない。
しかし、その道をただひたすらに歩を進めるのみ。それは人生と同じです。
何だか哲学的になってきました。

中海、米子及び安来方面を望む。
下を見るとかなりな高さまで登ってきてますう。ひえー。(44.7m)

鳥取県境港市側では、躯体がカーブになっていて印象的な形。かっこいいです。

滑らかな曲線美。
質感がいいですね。
このアングルで見るとカモメが翼を広げているような形状をしています。

江島大橋の雄姿。
中海のほとりでは、釣り客がチラホラ見えてました。
今度何が釣れるのか聞いてみようかな。

左にカーブし、その先が橋脚の逆サイドに見えます。
このスポットが今回一番印象的でした。

橋の上。どの部分でしょうか?

県境。

おしゃれなクリアな壁越しに江島の遠景。

最後、島根県江島方面に降りていきます。
地元の方がスタスタと追い越して歩いて行かれたので、往復3㎞、丁度良い散歩コースなのでしょう。

仏教の三法印の一つ”無我”。
心臓が動いている、自分のこの意識がある。この存在は何か。
全ては様々な時間的及び空間的要素の仮和合である。だから無我なのだ。理屈としては理解できる。
ただそれは、物質(=色)的な側面で見た観点であって、この自意識も、縁起ゆえに無我であると言われても少ししっくりこない。だから、デカルトの”我思う故に我あり”なんだろう。
形而上的な答えは人間には決してわからないと思うのだが、今の時点で自分が思うのは、結局は素直に我(=自分)があることを認めて受け入れて(苦しみの原因である自分を認めるのはそれなりに辛いことではあるが)。そして、その上で、この世界とは何か、自分はどう生きるかを追求し、自分なりの答えを見つけてそれにしがみついて、生きて、そして死んでいく。それしか出来ないのだろうと思う。

江戸時代の大名行列に使われた出雲街道、古代から商人や旅人が行き来した日野往来。
その二つの道の分岐点の宿場町として栄えた溝口の町。
何となく、出雲街道と日野往来という郷愁の響きに惹かれて、溝口駅界隈をスナップしました。
Date 2024.3.1 曇り
Camera Canon G7X Mark Ⅲ
JR伯耆溝口駅
伯耆溝口駅は無人駅です。
帰りの際、列車の到着が少し遅れていましたが、構内の電光掲示板が列車の到着時刻をしっかり案内してくれました。


溝口と言えば鬼伝説。
駅舎の壁には鬼のロゴがお出迎えです。

駅前が広く整備されていて、送迎車の乗降がしやすいですね。

出雲街道
旧溝口町は従来は日野郡に属していましたが、平成の市町村大合併の際に、北に隣接する岸本町と合併し西伯郡伯耆町となりました。このことからも、この地は、平地部の西伯郡及び山間部の日野郡の中間地点にあることがわかります。
古くは出雲街道の宿場町として、松江藩参勤交代の最初の宿場町でした。
真っすぐ伸びるその街道に佇んで、大名行列とその傍らの見物人等、当時の華やかな情景に思いを馳せました。


溝口神社
溝口神社は、この地(溝口庄)の産土神であり、また、ここから2km程上流に行くと樂樂福(ささふく)神社がありますが、この樂樂福神社の摂社に位置付けられているようです。
樂樂福神社は人皇第七代の孝霊天皇を主祭神としていて、孝霊天皇がこの地に巡幸された折に「牛鬼」の名で恐れられる鬼(凶賊)を退治されたとのことで、この逸話がこの鬼伝説となっています。
鳥取県西部の伯耆の国には、6箇所の樂樂福神社があり、いずれも孝霊天皇ゆかりの神社です。ちなみに、「樂樂福」とは、孝霊天皇の幼少時代の名前「樂樂清有彦命(ささきよありひこのみこと)」が由来のようです。
樂樂福神社は、伯耆国4市町にまたがる6箇所に所在することから、古事記の世界の孝霊天皇の巡幸や鬼退治の伝説は、古代に実在した相当にインパクトのあるイベントだったのだと思われます。






溝口の渡し
参勤交代に使われた出雲街道はこの地から日野川を渡河し、伯耆町二部方面へ進みます。
また、日野往来は日野川を渡らず、そのまま南下し江尾を目指します。
川の流れが急な時には、この地で足止めされることも多かったとのこと。
このためこの出雲街道は、江戸時代の途中に、米子~旧会見町~伯耆町三部に山越えするルートに改められたようです。
写真奥が鬼守橋で、この辺りが溝口の渡しであったようです。




その他のスナップ
今は使われていないようですが、新聞社店舗の2階の木窓と手摺りに時代を感じます。


マンホールにも鬼。

電話ボックスにも鬼。

おにったら鬼。

