月別アーカイブ: 2025年10月

街道を歩く~湯梨浜町・小鹿谷~

撮影日 2025.10.29
camera CANON G7X MarkⅢ

今回は湯梨浜町の小鹿谷である。
小鹿谷は、東郷池のほとり松崎の町を南に約1㎞行った先、羽衣石城が建つ山塊の山裾に位置する。
かつて鳥取藩の陣屋があった地であり、藩家老の和田氏がこの界隈の自分手政治を行った拠点がこの小鹿谷なのである。
今ではその面影はなく、わずかに残る石垣と素朴な集落の町並み、東郷神社の厳かな佇まいに落ち着いた情緒が感じられる。

東郷神社前の金毘羅灯篭から歩き始める。

東郷神社は、大正6年に旧東郷村内にある13社の神社を合祀しこの地に新設されたとのこと。

立派な鳥居は比較的最近に建立したもの。
鳥居裏に建立日の記載があったが失念(-_-;)

かなり長い石段。
訪問される方は心して行かれるように。

石段の上にドングリ。
秋が深まる。

石段を登り門をくぐったら手水舎。
左手と右手をゴシゴシし、口をすすぐ。
体を清めるは、心を清めることなり。

参道脇の黄色い花。

田んぼの収穫も終わったようだ。
小鹿谷は、適度な広さの平地、後ろに山、前には東郷川。
きっと古代から生活に適した土地であったに違いなく、稲作も、適度な傾斜地が好都合だったのだろう。

庭先に柿が吊るしてある。
そういえば子供の頃、欲し柿なんて欲した記憶が無いが(ダジャレではなく)、歳をとった今となれば、時々無性に食べたくなる。

町の中には石垣が残る。町は緩やかな傾斜になっていて、奥に進むには登って行かなければならない。人生と同じである。

石垣のスロープ。

石垣ったら石垣なのである。

200m程登ってきたか。
文献によると、この辺りに陣屋が建てられていたようである。
今は田畑になっている。
どんな土地でも、人が生きた分だけ、重層的に歴史が積み重なっている。

湯梨浜町は、旧泊村、旧東郷町、旧羽合町が平成の大合併で生まれた町。
旧東郷町は梨の産地。

こんな風に栽培するのですね。初めて見たかも。
水やりが効率的にできそう。

ねこじゃらし。
子供の頃、かくれんぼや鬼ごっこの最中に見つけて、そんな時はほぼ確実にニギニギしてたなあ。

街道を歩く~米子・外堀通り~

近世米子城は、毛利元就の孫・吉川広家が領内の本拠地の適地として、この米子の地を選び整備を始めた。ただ、広家は、城下町完成前の関ケ原戦後に転封となり、その後、新たな城主中村一忠によって城下町が完成した。米子の地は、軍事面だけではなく、政治・経済・交通の面で領内の最適地として選ばれたようである。
今回は、米子城の外堀であった通称外堀通りを歩いた。米子城の内堀と外堀との間が侍屋敷地区であったため、今歩いてもところどころにその面影が感じらる。

撮影日 2025.10.24
camera CANON G7X MarkⅢ

街路樹もチラホラ色づき始めている。
船は、外堀~中海を航行する遊覧船。

建物の間から米子城跡が見える。
米子城は、五重の天守閣。きっと城下町から望むその姿は、壮麗なものだったに違いない。

やたら目についた「駐車場」の看板(笑)
これだけあれば行き過ぎない。大丈夫。

赤いたこ焼き屋さん。
ここは天神町。
「お母さん、天神のたこ焼きにしよ!」

堀の向こうには幅の狭い建物が立ち並ぶ。
当時から町屋の長屋が密集していたのだろう。

外堀通りは、現在でも交通に生活に用途が多い道路。
多くの車や人が通る。

廻船問屋後藤家住宅。
立派な切妻屋根。
船が着き、荷の揚げ降ろしをする様子が思い浮かぶようだ。
場所は中海に近く立地の良さが伺える。

後藤家は江戸時代初期に石見の国から移り住んだとのこと。
これは後藤家の家紋?

後藤家すぐ前の外堀。
奥にはすぐ中海。
手前には撮影者。

犬とお散歩中の方に撮らせていただいた。
歩道が良く整備され、腰をかける場所も多く、ホントに良い散歩コースである。

ナナカマドの実。
日光に照らされて良く映えていた。

街道を歩く~日野町黒坂~

日野町黒坂。
現在では、日野町内の政治・交通等、生活の中心地は日野町役場のある根雨だが、古代律令制の時代まで遡ると、郡の役所、いわゆる郡家(郡衙)はこの黒坂の地に置かれていたようである。
また、江戸時代初期には、伊勢亀山城主関一政がこの地に転封された際に、日野川に包まれかつその土地が比較的広く、立地の良い場所としてこの黒坂の地に城下町を普請した。
黒坂は、古代からの時間の縦軸で観察してみると充実した歴史を有し、また、町を歩き空間的な横軸で観察してみると、山と川に囲まれた堅牢な防衛機能と縦横に真っすぐ整備された上品な街並みに非常に趣を感じる。

撮影日 2025.10.7
camera CANON G7X MarkⅢ

いい天気。
次第に秋の空に移っていく。
屋根の鯱も気持ちが良さそう。

日野往来が黒坂の町屋の間を真っすぐに走る。十分に昔情緒が感じられる。他では見られない印象的なストリートだ。

「人となるというのは 迷うということです」
ホントにそうです。
強弱の差はあれど、人は常に何かしらに迷いながら生きている。
迷いを経験した程、充実した人生になるだろう。

迷い人。

おしどりが応援してくれている。
「頑張れー、迷い人ー。」

メインストリートの一本外側の通り。
アスファルトを土に変えてイメージすれば、充分昔のままの風景が想像できる。
黒坂の町は、天然の堀に守られ防衛機能が高いためか、堀内の町並みは機能性を考慮して真っすぐな道路が整備されたようである。

今回黒坂の町を歩いたところ、買い物ができる商店は、この長尾商店さんぐらいかと思った。
この町の生活を支えるお仕事に頭が下がる思いだ。

旧山陰合同銀行の建物。
レトロな質感がとても上品。

町の南端にある曹洞宗光明寺。
黒坂の町には北と南の各入口付近にお寺や神社が配置されて、町の防衛のための機能も担っていた。
こちら光明寺は、南の入口、即ち備後(広島県)側からの侵入に備えて配置されたとのこと。
黒坂の町は日野川の自然の堀にも囲まれて、非常に防衛機能が高い町だったことが、歩いていても非常に良くわかる。

JR黒坂駅前の通り。
パラパラと人の影。簡素な空気感に好感。

JR黒坂駅。
奥には、黒坂城、即ち関一政により築城された鏡山城跡。

駅舎の中にお人形さん。熊野詣のお土産かな。
昔も徒歩の時代には、寺社巡りや大山牛馬市等の旅人が、この地を通っていったのだろう。


街道を歩く~江府町洲河崎~

江府町洲河崎。
鳥取県西部を流れる日野川は、俣野川が合流する武庫辺りで大きく左カーブを描いて蛇行して流れる。
その大きなカーブに包まれるように洲河崎の田園風景が拡がっている。
その田園風景の先の山裾に、赤い石州屋根が立体的に立ち並ぶ。
国道181号線を車で走りながら良く見える。
この日、その景観の良さについつい引き込まれ、予定にない散策を始めた。

 

撮影日 2025.9.30
camera G7X MarkⅢ

 

出発地点の洲河崎橋の西詰。
昭和48年3月竣工の記念碑。
当時の石破二郎知事の揮毫。
現総理の父上だ。

綺麗な赤い石州瓦の屋根が立ち並ぶ印象的な光景。
背景の山、前には田園。緑に囲まれて赤が映える。

稲を木組みにかけて干すことを、地元では、”はでかけ”という。
伯耆町で農家さんにお話を伺った時、農協に卸す米は、稲刈り機で刈った後、そのままの稲を農協に引き渡す。農協は乾燥機で乾かす。自分が食べる分は、はでかけで天日干し。この方が栄養分が高まるのだそう。気分的にもその方がエネルギーをもらえそうだ。納得納得。

趣ある道を登って行く。

コスモスが街道に花を添える。
ん?
コスモスは言われなくても花か。
でも”コスモスがコスモスを添える”ではおかしいな…
まあ、なんでもいいか。

坂を登り切ったところに砂防堰堤。
近年の豪雨等も考えると心強い設備である。
つくづく、先人の努力の上に今の生活があることを思う。

眼下には日野川が流れる。
対岸は武庫の町。
丁度、長い貨物列車が長いカーブを進んでいく。

何気ない集落の風景だが、存外、大人になって故郷に帰ったとき、このような素朴な光景に懐かしさを憶えるのではないだろうか。

猫じゃらしが街道に花を添える。
ん?
これはいいか。

地元の氏神、洲河崎神社。

地元の方のお話では、10月5日、6日に当神社でお祭りがあるとのこと。
歴史があるイベントはいつまでも続いて欲しいものだ。

大変風情のある通りである。

山からの綺麗な水を引き込み集落を流れる。
鯉も健康的に泳いでいた。

川向うは武庫の町。ダジャレではなく。
この日、お話をお伺いした高齢の女性は、武庫のまたの、向こうの俣野の町から嫁いできたとのことである。ダジャレではなく。
この対岸の景色を見ながら故郷を思うこともあったに違いない。

倉が立ち並ぶ綺麗な景観である。

 ”柿食えば
   倉が建つなり
      洲河崎の”

柿が成り、曼殊沙華が咲く。
徐々に秋が深まっていく。

街道を歩く~琴浦町逢束~

今回は琴浦町の逢束(おおつか)を歩いた。
記録的な猛暑も落ち着き、秋の入口、気持ちの良い空気である。
それでも1時間程歩いたか、汗で肌がしっとりと濡れている。

琴浦町逢束。江戸時代には、この地に宿駅と藩倉が設置されており、交通、政治の面で拠点となった場所である。
ただ、隣には八橋という大きな宿場町があり、宿駅間の距離的な理由により、江戸時代中期にはこの宿駅は廃止され、由良宿に移されたとのこと。
それでも、町の真ん中を走る趣ある旧道を歩くと、程よい曲がり道とそれに沿う落ち着いた家々が立ち並んでおり、往時、街道を行く旅行者の情緒が感じられるようである。

 

撮影日 2025.9.28
camera Canon G7X MarkⅡ

 

伯耆街道、鳥取方面から米子方面を望む。
向こう側に見えるのが逢束の集落。

県内各地では、米の収穫が終わりつつある。
収穫後の藁を集めているのか、農耕車が田んぼの中を行き来していた。

「東京力士 黒岩萬吉の墓」という墓石。
家に戻ってから調べると、黒岩萬吉さんは明治時代に活躍した郷土出身力士とのこと。

加勢蛇川。
この川を渡ると逢束である。

加勢蛇川河口。
こっちは行き止まりです。こっちですよ~。

地元の幼児が、「気を付けてね~」と手を振ってくれた。

右に左にカーブが続くので、車は速度を控えめに。

家の間から随所に日本海が見える。

行く道、来る道。

緩やかなカーブが歩いて心地よい。

町の防火設備。
密集した木造建築が立ち並ぶ町では、防火意識が高かったのだろう。
この地には、年貢を納める藩の穀倉がおかれたが、藩倉の周りには火除地も作られていた。

曹洞宗林泉寺。
曹洞宗は禅宗の一派。
きっとこの寺でも、地元の雲水達が座禅修行したのだろう。

日本海を望み、感傷に耽る。
もうすぐ秋も深くなるだろうな。