月別アーカイブ: 2025年8月

街道を歩く~大山町下甲~

撮影日 2025.8.24
camera Canon G7X MarkⅡ

畑の野菜。
大山黒ボクと言ったらブロッコリーのイメージだが、この野菜は?
う~ん、わからない。
まあ、野菜ですね(^_^;)

奥に見えるのは、下甲稲荷神社。
稲荷神社とは、穀物等、食物を司る神様。
農業の盛んな地域。農業の繁栄を願って建立されたものであることが伺える。

下甲地区内の路地。
綺麗で風情のある道が縦横に通されていた。

遠く西の空の下まで続く伯耆街道。

路傍には綺麗なお花。
名前が分からないので帰って調べた。
「ペチュニア」かな?

道端に小さな石塔が2塔。
何かの願いを込めて作られたのだろう。
道路も石塔も何もかも全ては人の精神の現れ。この石塔の形一つとってみても、世の中の事物に正解ってあるだろうか。僕には万人共通の正解って無いのだろうと思える。全てはそこにいる人の心の現れなのだから。強いて言えば、どんな事物もそこに現れた形が全て正解だと言える。
だから何一つ、自分を憂いたり悲観することはないのだ。全ての人が自信と思いやりを持って力強く歩いていけば良いのである。

街道を歩く~根雨散歩~

出雲街道の宿場町「根雨」。
松江藩の大名行列は、宿場町二部を出発し、間地峠を越えて、文字どおり”船場”の地において日野川を渡る。この街道、車尾、溝口に続いて三度目の日野川の渡しである。
今、この船場の当たりの流れを見ても岩が少なく流れが緩やかで、渡し場として良好な場所だったろうことが伺える。
その船場に隣接した町が根雨宿である。
根雨の名前は、大昔の干ばつの際に雨乞いの祈願をしたところ、雨が降り、稲穂の根を潤したことに由来するとのこと。
今でも、この地域では、毎年の祭りで傘踊りを行うそうであり、往古からの伝承が続いていることに感動する。
根雨の町は、この先の険阻な四十曲峠を控える重要な宿場町であり、かつては大名行列のほか、ウナギ街道とも呼ばれたとおりウナギ輸送の人足、大山牛馬市の輸送、出雲大社等の寺社参詣等の往来で大変賑わったとのことであり、この町を歩くと今でもその情景が浮かんでくるようである。また、歴史・文化の面では、大正デモクラシーの時代に活躍した評論家・翻訳家の生田長江氏のゆかりの地であり、また、たたら製鉄の鉄山師近藤家がある等、たくさんの歴史が詰まっている町である。

訪問日 2025.4~2025.8
camera Canon R6MarkⅡ

根雨宿の丁度真ん中辺りにあるお茶の緒形商店さん。
常連のお客さんに声をかけられて一緒にお茶をいただいた。おばさま方のパワーに圧倒されて縮こまる(^_^;)
健康体操の帰りに寄り集まる女性の方々、安来から時々来訪する俳人の方、遠方から定期的に訪れる根雨ファンの方、様々な常連さんが集まる根雨宿のサロンだ。

昔使われていた、高級茶「雁金」保管用の茶缶。
程よい錆の質感が時代を感じさせてくれる。

根雨の方々が信奉される根雨神社。神社が建つ森の麓に祗園橋がかかり、その下に流れるは板井原川。そして鮎釣りの人。
きっと昔からこのような文化と生活が融合した光景が連綿と続いているのに違いない。

石段の上に「ごんげんさんゆうえんち」と看板のある広場がある。
奥に祠がある他は、今は何もない更地になっている。
看板には「しょうわ57ねん8がつできる」と記載あり。
40年以上前。古き良き時代の子供たちの声が聞こえてくるようだ。

根雨の町から2㎞程、国道181号線を下った道沿いに、大正時代、日本の論壇の中心で活躍した翻訳家生田長江氏の生家跡がある。

訪問したのは梅雨の頃、ハルジオンの花々が記念碑を称えるように彩っていた。

これから先は険阻な四十曲峠が待ち受けている。
困難な道ほど乗り越えた先の景色がより輝かしく感じられるだろう。
人生は何度か自分の足で乗り越えなければならない坂道がある。
自分の心の声に従って、少しずつ前に進んでいこう。