仕事で田園風景が拡がる集落を歩いていた時とのこと。
庭先のベンチに腰を下ろした老人とのやりとり。
「暑いですねー」
「暑いなあ」
「でも今日は雲があるから少しはいいですね」
「雲があっても暑い暑い」
昨今、地球の温暖化現象が顕著で、例年、夏の暑さがこれまでにないものとなっている。
自分の子供の時と比べて感覚的に3~4℃程、暑くなっているように感じる。
気象庁の平年値とは過去30年間の平均値とのことだが、年々上がり続ける気温は、平年値をも上昇させるだろうから、昭和の頃までの気温と比べるとさらに上がっていることだろう。
人々は言う。
「地球が危ない」と。
なあに、地球はちっとも危なくない。どうしたって地球はいつもの調子で悠然と回っているのである。
正しくは、「人間の住処が危ない」というべきなのだ。
「地球を守ろう」ではなく「自分たちの住処を守ろう」なのだ。
まあ、それはそれとして、地球温暖化の原因は、人間の化石燃料の消費等による環境破壊や地球のマグマや太陽活動等の活発化等の自然由来の原因等、諸説あるそうだが、やはり人間が引き起こした要因も少なからずあるに違いない。
それは人間の欲望が引き起こしたこと。
大いに反省が必要だろうと思う。
「いや、その科学技術の発展や行き過ぎた経済活動等、他の人がやったことで、私は望んでいない」等と言ってはいけない。
やはりそう言っているその人たちも、今、手に持っているスマートフォンやエアコン、自動車、飛行機、等等等、充分にその科学技術の発展や過当な経済活動の恩恵を得ているのだ。
私は極端な話、全人類が(特に先進国の)、今の生活水準を半分程度に落とせば、人間の心も自然環境も穏やかになってよくなると思っている質なのだが(例えば一家に車が2台あるのなら1台にしましょうなど)、競争は人間の性なのか、これだけ国際間の競争が進んだ社会ともなればとても叶わない話だろう。アメリカや中国がそのような提案に乗るはずもない。月の領土も我先に争っているぐらいだから。
所詮、悪人を自称している人も善人ぶっている人も、悲しいかな全員が運命共同体なのである。
子供の頃に田舎のおばあちゃんの家に行って、川やソリで遊んだ記憶も今や懐かしき思い出。
美しい頃に戻ることは出来ない。
全ては変化の最中にある。変化しかない。変化に身を委ねるしかない。
でも、そうまんざら嘆くことばかりではない。
冒頭のやりとり。
普段、隣人と言えども、他人とはほとんどないコミュニケーション。
こういう時だからこそ繰り拡げられるコミュニケーションだ。
ギラギラ照り付ける日差しの下で「暑いですねー」を皮切りに、人と人とがふれあう機会が増える。
そのような小さな恩恵もあると思う今日この頃である。
暑い夏に思うこと
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