寄せ合う赤い屋根
青い空の下
海に抱かれて
人々は暮らす
暑い日も寒い日も
人の数だけの喜怒哀楽
屋根の数だけの物語
全て詰まってる
青い空の下
海に抱かれて
そうだ自分の悩みなんて
大きなものに私は包まれている
暑い日も寒い日も
青い空は私を包んでくれている

思ったことつらつら。
この世界って、何で出来ていて何故出来ていて何を見ているんだろう。
そして、最大の問いは何故この世界に自分は居るのだろう。
皆目わからない。
カントの純粋理性批判だって、形而上的な問いはいくら考えても結論は出ないと言っている。
でも自分は何故だかこの世界に産まれ堕ちてしまっている。
そしてその世界ではどうにもならない生きづらさや切なさもある。
頭もよくないし、見栄えも普通。
身体能力もないし、体も強くないからバイタリティもない。
能力が無い割に負けず嫌いだし、シャイだし。
悲しいかなそのように自分は存在してしまっている。
してしまっているのである。
だけどね、どうあがいてもこの世界を自分としてしか生きていけないし、他人と比べてもどうしようもない。
「自分は大谷翔平がやる90%のことはできない。自分は最高のムーキーベッツになるだけだ。」
最近のムーキーベッツの言葉だが、今の自分にはかなりしっくり来る言葉。
社会の地位は全て相対評価だ。政治家、医者、弁護士、オリンピック選手、野球選手、将棋の棋士、サラリーマンになるにも何もかも。
自分には競争心や嫉妬心もある。どうしても人と比べてしまうからね。
だけど、相対評価やその指標となる数字だけを追いかけても、自分の真の価値を見逃してしまうのではないかな。
自分に与えられた条件(身体能力、思考能力、経済力、性格や資質等)の中で、どれだけ自分を向上させられるか。ある程度自分の器の形って決まってるんだよね。三角形の人も居るし、星形の人も居るだろう。
相対評価はモチベーションにはなるが、決してそれを目的としてはいけない。ライバルに勝った瞬間に満足して成長が止まってしまうからね。
大切なのは、人生最後の日まで「最高の自分」を目指してそれに向かって向上すること。
その際に、「何故?」という言葉は遮断すること。
これは潜在意識からの声であって理屈ではない。自分のちっぽけな頭で考える小理屈では真実は見えないだろう。
全てが因果の法則で動いているように見えるこの世の中も、自分の意識で世界は変えられると思う。
少なくとも唯識はそう教える。阿頼耶識縁起ですね。
だから日々、自分の底からの意識に従って向上し最高の自分を追い求めて行く。
そうしたら、人生の最後には最初の問いの答えも少しは見えてくるのでないか。
だからその日まで、自分を生き抜いてやろうじゃないか。
そう感じている、今日この頃。

出雲街道沿いの岸本。
かつてこの地は米子の車尾の渡しから右に折れて続く出雲街道と尾高方面からやって来る日野往来との合流地点だったようです。
島根松江藩の参勤交代や自社参り等の旅人等、多くの古人が歩いたであろう光景が偲ばれます。
夕暮れ、岸本地区の出雲街道をスナップしました。
Date 2024.5.17 晴れ
Camera Canon R6 MarkⅡ RF 70-200㎜ F2.8 L IS USM

雑草か農作物の残渣でしょうか。
野焼きの煙が横切る街道を近くの男性が散歩していました。
安来宿を発った大名行列も昼下がりから夕方にかけてこの辺りを通過したのでしょうか。
当時の光景に思いを馳せて情緒が沸き起こります。

5月、田植えの季節。
街道を挟む田んぼにはもう水が張られてました。
蛙の鳴き声もこの季節の風物詩ですね。
大山も夕陽に照らされてその表情が良く見えます。

岸本中学校。
西側の全面に夕陽を一杯に浴びていました。

猫ちゃん。
飼い猫だったのでしょうか、こちらにすり寄ってきてくれました。
人恋しいのでしょう。
焦って撮って、写真はピンボケ。

岸本神社のムクの木。
とっとりの名木100選。
樹齢不明のようですが、この地に鎮座する岸本神社の神木として、古くから崇められてきたのでしょう。

岸本神社付近の出雲街道。
田園風景が情緒を感じさせます。
秋の稲穂の頃も良い風景でしょうね。
