江戸時代の大名行列に使われた出雲街道、古代から商人や旅人が行き来した日野往来。
その二つの道の分岐点の宿場町として栄えた溝口の町。
何となく、出雲街道と日野往来という郷愁の響きに惹かれて、溝口駅界隈をスナップしました。
Date 2024.3.1 曇り
Camera Canon G7X Mark Ⅲ
JR伯耆溝口駅
伯耆溝口駅は無人駅です。
帰りの際、列車の到着が少し遅れていましたが、構内の電光掲示板が列車の到着時刻をしっかり案内してくれました。


溝口と言えば鬼伝説。
駅舎の壁には鬼のロゴがお出迎えです。

駅前が広く整備されていて、送迎車の乗降がしやすいですね。

出雲街道
旧溝口町は従来は日野郡に属していましたが、平成の市町村大合併の際に、北に隣接する岸本町と合併し西伯郡伯耆町となりました。このことからも、この地は、平地部の西伯郡及び山間部の日野郡の中間地点にあることがわかります。
古くは出雲街道の宿場町として、松江藩参勤交代の最初の宿場町でした。
真っすぐ伸びるその街道に佇んで、大名行列とその傍らの見物人等、当時の華やかな情景に思いを馳せました。


溝口神社
溝口神社は、この地(溝口庄)の産土神であり、また、ここから2km程上流に行くと樂樂福(ささふく)神社がありますが、この樂樂福神社の摂社に位置付けられているようです。
樂樂福神社は人皇第七代の孝霊天皇を主祭神としていて、孝霊天皇がこの地に巡幸された折に「牛鬼」の名で恐れられる鬼(凶賊)を退治されたとのことで、この逸話がこの鬼伝説となっています。
鳥取県西部の伯耆の国には、6箇所の樂樂福神社があり、いずれも孝霊天皇ゆかりの神社です。ちなみに、「樂樂福」とは、孝霊天皇の幼少時代の名前「樂樂清有彦命(ささきよありひこのみこと)」が由来のようです。
樂樂福神社は、伯耆国4市町にまたがる6箇所に所在することから、古事記の世界の孝霊天皇の巡幸や鬼退治の伝説は、古代に実在した相当にインパクトのあるイベントだったのだと思われます。






溝口の渡し
参勤交代に使われた出雲街道はこの地から日野川を渡河し、伯耆町二部方面へ進みます。
また、日野往来は日野川を渡らず、そのまま南下し江尾を目指します。
川の流れが急な時には、この地で足止めされることも多かったとのこと。
このためこの出雲街道は、江戸時代の途中に、米子~旧会見町~伯耆町三部に山越えするルートに改められたようです。
写真奥が鬼守橋で、この辺りが溝口の渡しであったようです。




その他のスナップ
今は使われていないようですが、新聞社店舗の2階の木窓と手摺りに時代を感じます。


マンホールにも鬼。

電話ボックスにも鬼。

おにったら鬼。

今日の1枚
