毎年この季節になると、別れと出会いがやってくる
自分はさみしがり屋だから、やっぱり別れのあるこの季節は嫌だなあ
寂しい気持ちを覚えるということは、それだけ出会った皆さんがいい人ばかりだったということの裏付けなのだ
この寂しい季節、何かしら意味を見出すとしたら、やっぱり、新しい出会いをして、いろんな人に会って、そしていろんな経験を積む機会ということかな
成長の種子が発芽する
人生はどこまで行っても修行だから

人間に備わる感覚、思考、感情
全てまとめて心である
世界はその心しかないとしたら
二次元も三次元も超次元もない
広さも奥行きもない
まして時空の連続もない
あるのは今ここだけの刹那滅の影像
あなたはそこに居るの?
このコップはここに在るの?
居るも在るも人間の観念
人間が考えさせられている概念
実在の確証もない
唯そのように認識させられているだけ超越者に
理解不能の世界
アインシュタインもスピノザも
理解したと思ったら次の問い
次の問いのパンドラの箱
問題だらけ
諦めることだ
諦めて唯清く生きることだ
難しく考える必要はない
人間に備わっている本能
本能に従って生きればいい
それも静かで善良な本能に
耳を澄ませば聞こえてくる
目を閉じれば感じられる
大きな流れを感じる取るのだ
そしてそれに身を委ねるのだ

朝、いつものとおり出勤の支度。
ルーティンを済ませ、カーディガンを羽織る。
その時、肘に白い糸くずが付いているのに気付く。
つまもうとするが取れない。
「あれ?」
違う。糸くずではなくて、カーディガンの繊維が綻んで下のカッターシャツの白地が浮き出ていたのだ。
がっかり。無念にも早速着替える。
次のカーディガンは?
大丈夫だ。そして出掛ける。
いつもの当たり前のルーティン。
それが上手くいかなかった。
ふと思う。
生活の殆どがルーティンで出来ているのだなと。
そのルーティンが当たり前に出来ているから、その土台の上に、幸せなり不幸なりなんなりと乗っかっているのだ。
朝起きて開けるカーテンのフックが折れないで居てくれる
電池が朝の髭剃りを動かしてくれる
トイレの水がいつもどおりに流れる
車のハンドルを真っ直ぐに保っていてくれる
遠い親戚が元気で居てくれる
大気を自由に吸うことができる
今日も地球の自転が傾いていてくれる
みんながみんな
自分の生活を支えてくれているんだなと。
仏教思想の根本的理念に「縁起」というのがある。
現代では、”縁起がいい”等と運がいいぐらいの意味にしか使われないが、元々は「因縁生起」の略語。因という元の要素が縁という作用で生起するということ。”自分”というものは、それ単体で成り立っているのではなく、様々な外的な要素や他人との関わり合いの中で構成されていると説いている。(厳密には世界を中とか外に分け隔てず自他一如だが)。それが縁起である。
カーディガンのほつれも、自分をこれまで支えてくれた証拠。
感謝し修復して今後も着ることにする。
でも自分は裁縫できないから、かみさんにお願いしよっと。
そこも自分を支える縁起、縁起。
