月別アーカイブ: 2022年3月

桜の季節

毎年この季節になると、別れと出会いがやってくる
自分はさみしがり屋だから、やっぱり別れのあるこの季節は嫌だなあ
寂しい気持ちを覚えるということは、それだけ出会った皆さんがいい人ばかりだったということの裏付けなのだ
この寂しい季節、何かしら意味を見出すとしたら、やっぱり、新しい出会いをして、いろんな人に会って、そしていろんな経験を積む機会ということかな
成長の種子が発芽する
人生はどこまで行っても修行だから

日曜の静寂

空気は灰色
什器は無機質
平日の喧騒が幻のようだ
また明日から動き出す
魂が吹き込まれて
今はただ深い眠りの内
窓の外ではしんしんと雪が落ちている

怒っているのではない
寂しいのだ

笑っているのではない
安心しているのだ

期待しているのではない
感謝しているのだ

眩しいのではない
長く遠くまで続くその道が
幸せであることを夢見ているのだ

黄昏

蝶々

車の中
あのときのドライブ
ゆらゆら揺れて

今は部屋の中
あの音楽
ひらひら跳んで

思い出される鮮明に
時を重ねて鮮烈に

20年の時を越えて

一冊の本
表紙の所在はわからない
頁は白や黒、赤や青、黄や緑
いろいろないろ
悲しいいろ
楽しいいろ
映えないいろ
鮮やかないろ
いろいろないろ
ばら色のページを破いてみる
紙飛行機をつくって
窓を開けてそっと飛ばしてみる
よく飛んだ
沈みゆく夕陽に向かって
よろよろしながら
それでもたくましく
見えなくなるまで
どこまでも

目覚めの連想

人間に備わる感覚、思考、感情
全てまとめて心である
世界はその心しかないとしたら
二次元も三次元も超次元もない
広さも奥行きもない
まして時空の連続もない
あるのは今ここだけの刹那滅の影像
あなたはそこに居るの?
このコップはここに在るの?
居るも在るも人間の観念
人間が考えさせられている概念
実在の確証もない
唯そのように認識させられているだけ超越者に
理解不能の世界
アインシュタインもスピノザも
理解したと思ったら次の問い
次の問いのパンドラの箱
問題だらけ
諦めることだ
諦めて唯清く生きることだ
難しく考える必要はない
人間に備わっている本能
本能に従って生きればいい
それも静かで善良な本能に
耳を澄ませば聞こえてくる
目を閉じれば感じられる
大きな流れを感じる取るのだ
そしてそれに身を委ねるのだ

今、自分が居ること

空があるように
海があるように
風を感じるように
犬が散歩しているように
朝ご飯を食べるように
上司に命令されるように
そのように見えている
帰宅してホッとする
そして眠りにつく
これらの日常を映し出す幻影が世界を形作る
そしてそれこそが、自分を形作っている

乾いている

乾いている
喉がカラッカラだ
飢えている
コップに穴が開いているんだろうか
満たしても満たしても無くなっていく
大好きなジュース
世界で一番大好きなジュース
もっと欲しい
グラスが大きすぎるの?ジュースが少ないの?
どちらでもいい
このグラスに綺麗で美味しくて香りの良い
そんな世界一のジュースを満たしてほしい

大晦日の虚無感

大晦日ぐらい気持ちの整理をしても良さそうだが
全てを無くしてしまったのだろうか
一向に頭に浮かんでこない
いや、思考にはあるが感情に働きかけてくるものがなにもないと言う感じだろうか
世の中のコロナ騒動も、原油の高騰も、経済対策の給付金も、気候変動による大雪も、自分を取り巻く人間模様も、家族も仕事も、来たる新年も何もかも
全てが真っ白になったようだ
全てが地に伏したようだ
台風一過の快晴のようだ
季節外れの凪のようだ
これが平穏と言うのだろうか
これが平和だと言うのだろうか
全てが波立たず、風が吹かず、このままただ日が過ぎ去るのが幸せなのだろうか
こびりついた怠惰がベッドの上で転がっている

冬の樹

今の姿が不満なら
全てを落として一遍枯れてみるがいい
芽も葉も花も何もかも
そうしてむき出しとなった木肌が素っ裸の自分
それで自分が何者かを知る
あとは心を開いて待つのだ時節と邂逅を
陽と雨を受け入れて地中から養分を吸い上げる
やがて、ふと気がついた頃、立派な樹に育っているだろう

冷たい雲

薄暗い雲が静かに拡がる
静寂といえばそうだが
不穏で意思を感じる冷たい雲
どうしてこうなったのか
自業自得
でも晴れぬことはない
時が経てば雲間から光が現れる
神様は許してくれる
これも必要だったんだ
課せられた人生を全うするために

親切

親切
それは気持ちがいい
それは心が安心する
それは他人が喜ぶ
それは自分が喜ぶ
それは神様から与えられた善良な心
善良な心が世界を平和にする
善良な心が自分を幸せにする

花は人間を認識しない
しかし人は花を認識する
花は生きることに必死だ
だから花にも自我はある
自分が生きるための純粋な自我
精一杯生きているだけの自我
それ故にこそ自信に満ちた色
それ故に美しい色とりどりの色
そんな色を認識するとき
人間の心も美しい

或る日の朝

朝、いつものとおり出勤の支度。
ルーティンを済ませ、カーディガンを羽織る。
その時、肘に白い糸くずが付いているのに気付く。
つまもうとするが取れない。
「あれ?」
違う。糸くずではなくて、カーディガンの繊維が綻んで下のカッターシャツの白地が浮き出ていたのだ。
がっかり。無念にも早速着替える。
次のカーディガンは?
大丈夫だ。そして出掛ける。
いつもの当たり前のルーティン。
それが上手くいかなかった。
ふと思う。
生活の殆どがルーティンで出来ているのだなと。
そのルーティンが当たり前に出来ているから、その土台の上に、幸せなり不幸なりなんなりと乗っかっているのだ。
朝起きて開けるカーテンのフックが折れないで居てくれる
電池が朝の髭剃りを動かしてくれる
トイレの水がいつもどおりに流れる
車のハンドルを真っ直ぐに保っていてくれる
遠い親戚が元気で居てくれる
大気を自由に吸うことができる
今日も地球の自転が傾いていてくれる
みんながみんな
自分の生活を支えてくれているんだなと。
仏教思想の根本的理念に「縁起」というのがある。
現代では、”縁起がいい”等と運がいいぐらいの意味にしか使われないが、元々は「因縁生起」の略語。因という元の要素が縁という作用で生起するということ。”自分”というものは、それ単体で成り立っているのではなく、様々な外的な要素や他人との関わり合いの中で構成されていると説いている。(厳密には世界を中とか外に分け隔てず自他一如だが)。それが縁起である。
カーディガンのほつれも、自分をこれまで支えてくれた証拠。
感謝し修復して今後も着ることにする。
でも自分は裁縫できないから、かみさんにお願いしよっと。
そこも自分を支える縁起、縁起。